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男嫌いの女のつぶやきです。私のHNは、日本語で らいてふ と書きます。かの平塚らいてう の書き間違いって意味です。raityou_2004@excite.co.jp


by raityou_2004

人権講習会とやら

なーんか会社のオヤジどもが人権講習うけたらしーんですね。

そして飲み会にて、、、、

「あれもこれもセクハラですって言うんだよーもー何言っていいのかわからんよー」

まーこういうのはフツーちゅーか、よくあるけど、
それに相槌打つ女ってどーなんだろーと思うんだよねー

傑作だったのは、

「そうですね。何も知らないお嬢様とかは傷つくかもしれませんけどね」

とか言った女。

あーあ、男嫌いで生きにくいのに、女まで嫌いになりたくないのになぁ。


お嬢様は傷つくんだってさ。


んじゃー、性経験の多い人は何だってんだろね?
って言うか、女の性経験の勘ぐり入れるなんざ、下衆のやる事じゃーねぃのかい?

悪いのはセクハラした男じゃないのかね?
# by raityou_2004 | 2007-04-16 20:35 | フェミ

フト思う事。

私が「男嫌い」を書き始めたばかりの頃。
エキサイトブログをあちこち見て、波長の合う人を探したりしてました。
今はそんなに他のブログ見てませんけど、、

そして、その頃発見したブログで、
「負け犬のオタケビ 乳がんになっちゃった編」
というブログがあるん。
ちなみにこれ

このブログ、ほんのちょっとで更新が滞ってしまって、
誰もコメント付けて無いし、誰もtbしていない。

あの頃の私は、他人のブログを片っ端から「お気に入り」に入れてたけど、
時が経つにつれ、取捨して今、お気に入りにあるブログってちょっとだけなんだな。

でも、なんかこの「負け犬のオタケビ」だけは削除できずにいたんだ。

「いい天気、公園へ」というエントリーで、
ふっつり更新が途絶えている。

なんとなく、お気に入りから削除できなくて、

まぁ私の「男嫌い」もこういう終り方するのかな、と思ったりする訳よ。
# by raityou_2004 | 2007-03-20 22:50 | 癒されるぅ
この前、アジアの某国へ行ってまいりました。

現地の人も親切だったし、ご飯はおいしいし、何の問題もないのですが、


やはりこの国でも、白人男と「ガンのくれあい・とばしあい」(ヤンキー語は不得意なので、どういう漢字かわからないから平仮名で書きます)をしてしまいました。

どういう状況かと言うと、

①観光地や高級ホテルなどで、白人のファミリーに遭遇する。

②(私が)なんとなく彼らを見る。(極めて好意的な眼差しのつもり)

③白人ファミリーのお父さんと思われる男が、私を睨みつける。
(ぁに見てんだょ!って感じで)

④私もその挑発に乗って、睨み返す。


・・・・・・・・・という具合。



な~~んか、ムカつくんです。

過去に同様の思いをしたのは、必ず30代前半までの年齢の、若いお父さん。

今回もそうでした。

アンタら白人は、そんなに有色人種が自分の家族を見るというのがイヤですか。

でもぉ~~、ここアジアだしぃ~~~。マイノリティはアンタら白人だからね。
えばって睨みかえすんじゃないわよ。

そういうのがイヤだったら、とっとと欧州とか、高い旅行費用で行ってください。


同様の思いをした向きは、コメント乞う。
# by raityou_2004 | 2007-03-09 22:46 | 地雷踏まないで生きていこう
なんか海外とか行っていてのほほんとしてたので、タイミングを逸したんですけど、

「産む機械」発言で有名になった柳沢のおじちゃんて、奥さんいるんだね。

奥さんはなんと思っているのだろーかねぇ。
ああいう男と一緒にいるちゅーのは、どういう気分なんだろー。

てゆーか、所詮こういう発言は人格障害なんだから、死ぬまで直らないんだしさー。

せめて奥さんが検閲するちゅーことはできないのかいなー。

あのおぢちゃん、差別丸出しで、、、、イマドキ珍しいくらいに・・・・・な?
# by raityou_2004 | 2007-02-16 22:21 | フェミ

25年の休暇

買い物に出て「迷子」に=タイ女性が25年ぶりに帰郷

【ドゥソンギョ(タイ)10日】タイで、買い物に出た際に行く先の違うバスに乗ったばかりに25年間、家に戻れなくなった76歳の女性が、このほど、やっと帰郷することができ、家族や孫たちと涙の再会を果たした。≪写真は、孫を抱いて喜ぶ25年ぶりに故郷の家に帰り着いたベウラヘンさん≫
 7人の子供を持つタイ南部、マレーシアとの国境地帯のナラシワト県に住むベウラヘンさんは25年前の1982年、いつものように国境を越えてマレーシアへ買い物に出掛けた。しかし、ベウラヘンさんは帰りに間違えてバンコク行きのバスに飛び乗ってしまった。
 ベウラヘンさんはマレー語の方言しか話せなかったために間違いを伝えることができず、そのままバンコクに行ってしまった。タイ語の読み書きができないべウラヘンさんは、バンコクでまた間違ったバスに乗り、今度はチェンマイに着いてしまった。チェンマイで5年間、物乞いをして暮らした後、87年に中部の県のホームレス・センターに送られた。警察は家族に、交通事故で死亡したのだろうと話していた。
 同センターで20年近くを過ごしていたが、先週、べウラヘンさんの故郷のナラシワト県から、ホームレス問題を研究している学生3人が同センターを訪れた。べウラヘンさんが学生の前で歌を披露したところ、学生たちにはマレー語の方言であることが分かった。
 べウラヘンさんは学生にこれまでの経緯を話し、故郷にはマレーシア人の夫と7人の子供がいることを伝えた。故郷に連絡が行き、6日に家族が迎えに来た。25年もかかった買い物の後にやっと家に帰り着いたべウラヘンさんは、子供や孫と抱き合って喜んだという。



うーん。
25年あったら、言葉も覚えられるだろうし、そもそも歩いて帰れるでしょ?

物乞いする根性があれば、余裕ではないのかな?


いや、、、でも私の母も25年放浪しそうだな。
言葉は子供の頃覚えた道南弁しか離せないし、ものすごく方向音痴だったしなー。
# by raityou_2004 | 2007-02-13 22:22 | 癒されるぅ